【土江寛裕 ❝”桐生のコーチ” 二世代スプリンター❞】

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プロフィール

氏名:土江 寛裕(つちえ ひろやす)

生年月日:1974年6月14日

出身地:島根県平田市(現出雲市)

所属:
出雲市立平田中学校
島根県立出雲高等学校
早稲田大学
富士通

身長:171cm
体重:65kg

自己記録

100m 10秒21
200m 20秒86

主な戦績
1989年 全日本中学選手権110mハードル7位
1990年 全国高校総体100m予選敗退・4×100mリレー予選敗退
1991年 全国高校総体100m準決勝敗退・200m予選敗退・4×100mリレー準決勝敗退・
4×400mリレー予選敗退
1992年 全国高校総体100m3位・200m8位・走幅跳予選敗退・4×100mリレー予選敗退
1993年 日本インカレ100m4位・200m3位
1994年 日本陸上競技選手権大会100m4位
日本インカレ200m5位
1995年 日本陸上競技選手権大会100m予選敗退・200m8位
ユニバーシアード4×100mリレー6位
1996年 日本陸上競技選手権大会100m2位
アトランタオリンピック100m一次予選敗退
1997年 日本陸上競技選手権大会100m4位
アテネ世界選手権100m二次予選敗退・4×100mリレー準決勝敗退
1998年 日本陸上競技選手権大会100m5位・200m優勝
バンコクアジア大会200m8位・4×100mリレー優勝
1999年 日本陸上競技選手権大会100m優勝
2001年 日本陸上競技選手権大会100m3位
エドモントン世界選手権100m一次予選敗退
2002年 日本陸上競技選手権大会100m4位
釜山アジア大会4×100mリレー2位
2003年 日本陸上競技選手権大会100m3位
パリ世界選手権4×100mリレー6位
2004年 日本陸上競技選手権大会100m3位
アテネオリンピック100m一次予選敗退・4×100mリレー4位

長い期間日本トップクラスで活躍されていた土江寛裕選手。現在は桐生祥秀選手のコーチをされており、日本人初の9秒台誕生に大いに貢献しました。
また二世代スプリンターとしても知られており、父の土江良吉氏は1965年に高校生ながら日本選手権200mを制しています。

土江選手が陸上競技を始めたのは小学校二年生である8歳の時。元日本王者の父が陸上教室を開いたため、そこで無理矢理やらされていたとの事です(笑)。そんな中でも小学校5年生の時にはリレーで全国大会に出場しています。

中学校に進学後は様々な種目に挑戦します。最も力を注いでいたのが110mハードルで、三年時には全日中で7位に。ちなみに当時は6位までが入賞だったので、わずかに入賞圏外でした。

出雲高校に進学後も、当初はハードルを続けていました。一年時の国体少年Bはまだジュニアハードルでしたが、二年に進級後は高さが一般用に変更したため、長身ではない土江選手には跳び超える事が難しくなってしまいました。これをきっかけに、徐々に専門を100m・200mに移行していく事になります。
高校時代の100mベスト記録は一年時11.08、二年時10.81、三年時10.55。インターハイには三年連続で出場しており、三年時には100m3位に入賞しています。

大学は早稲田に進学。同校に決めた理由としては、父の出身校であり、”早稲田以外の大学なら学費を自分で払え”と言われていたからだそうです(笑)。
大学でのトレーニングは土江選手に適していたようで、徐々に日本トップクラスの力を身に着けていきます。二年時の日本選手権では100m4位に入賞。四年時には2位に入賞しており、同年のアトランタ五輪に100m・4×100mリレーで出場しています。

大学卒業後は富士通に入社。実業団選手としてのキャリアを開始します。1998年に日本選手権200mで初優勝。同種目は父である良吉氏が1965年に優勝しているため、二世代で同じ種目を制するという偉業を達成しました(同例はハンマー投げの室伏親子のみ)。また翌1999年には同大会を100mで優勝しています。
日本代表の常連にもなり、1997アテネ世界選手権・1998バンコクアジア大会・2001エドモントン世界選手権・2002釜山アジア大会・2003パリ世界選手権に出場していますが、いずれも個人では予選敗退しており、リレーでの活躍が目立っていました。

集大成となった2004年には日本選手権で10.21の自己ベストをマークし、アテネ五輪参加標準記録Aをジャストで突破。アテネ五輪本番では100m一次予選敗退となりましたが、4×100mリレーでは過去最高順位となる4位入賞を果たしています。

競技引退後は富士通を退社。城西大学経営学科准教授を経て、現在東洋大学企業法学科の教授に就かれています。また日本陸連短距離副部長も務められており、短距離界のレベル向上に大いに貢献されています。


土江選手のランニングフォームです。
彼の代名詞ともいえるのが高速ピッチで、5歩/1秒を上回る世界的にも珍しい選手でした。
形体的な特徴として足が短いため、それを補うためロスの無い脚運び、いわゆる”挟み込み動作”を徹底していました。
現役時代から生体力学”バイオメカニクス”を用いた分析手段を取り入れており、それを活かして上体の構え・キック足の各関節角度・地面をプッシュする方向・さらには末續慎吾選手の走法などを徹底的に研究した結果、2004年の自己ベスト更新につながったと話しています。


日本代表の常連として活躍されていた土江選手。今後も桐生選手のコーチを継続すると表明しており、ますますの活躍が期待されます。
選手時代からレース後に号泣する事が多く(というかほぼ毎回)、よく朝原宣治選手と為末大選手にいじられていました。東京五輪では、良い形で涙を流せるといいですね…。応援しています。