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高瀬慧|プロフィール・経歴・走り方の紹介【陸上】

高瀬慧のプロフィール

氏名

高瀬 慧(たかせ けい)

生年月日

1988年11月25日

出身地

静岡県静岡市

所属

長田南中学校
静岡西高等学校
順天堂大学
富士通

身長

179cm

体重

67.5kg

自己記録

100m 10秒09
200m 20秒14
400m 46秒46

主な戦績

2006年 全国高等学校陸上競技対校選手権大会200m準決勝敗退 400m準決勝敗退
2007年 日本ジュニア陸上競技選手権400m5位
2009年 日本インカレ200m4位
2010年 関東インカレ200m4位・400m優勝
日本陸上競技選手権大会400m5位
日本インカレ200m3位・400m2位
2011年 日本陸上競技選手権大会200m5位
大邱世界選手権4×400mリレー予選敗退
2012年 日本陸上競技選手権大会200m優勝
ロンドンオリンピック200m準決勝敗退・4×400mリレー予選敗退
2013年 日本陸上競技選手権大会100m3位・200m3位
2014年 日本陸上競技選手権大会200m2位
仁川アジア大会100m3位
2015年 日本陸上競技選手権大会100m優勝・200m3位
2016年 日本陸上競技選手権大会200m2位
リオデジャネイロオリンピック200m予選敗退
2017年 日本陸上競技選手権大会100m準決勝棄権・200m8位

高瀬慧の経歴

いまやお馴染みのトップスプリンターになった高瀬慧選手。社会人になってから大ブレイクを果たし、日本代表の常連になった稀有な選手です。

高瀬選手が陸上競技を始めたのは早く、小学校四年生の時です。それから現在まで競技を継続していますが、少年時代は目立った戦績を残しておらず、中学三年時でも100m自己ベスト11.8と、かろうじて県大会に行ける程度のレベルでした。

高校は静岡西に進学。ロングスプリント中心に取り組み、高校三年時には200m、400mともにインターハイ準決勝に進出します。しかしまだ全国的には無名の存在で、また静岡の同学年には女子200mで高校記録を樹立した中村宝子選手がいたため、話題はそちらに集中していました。

そして大学は順天堂に進学します。名コーチの佐久間和彦氏に師事し、またトップスプリンター高平慎士の背中を追いかけて、高瀬選手は徐々に成長していきます。
大学一年時には日本ジュニア400mで5位に入賞。その後はインカレを中心に実績を重ね、最高戦績は大学4年時の日本インカレ400m2位入賞です。しかし残念ながら世界大会代表までには至らず、国内レベルの選手として大学生活を終えます。

2011年、大学卒業後も競技を継続する事を決断した高瀬選手は、富士通に入社します。そして入社後、早々に大ブレイクする事になります。
5月に行われた東日本実業団選手権200mで、20.53の自己ベストをマーク。大邱世界選手権の参加標準記録Aも突破しました。
日本選手権では200m5位に入賞。世界選手権ではリレー要員として代表に選出され、4×400mリレー予選を走ります。個人種目出場はなりませんでしたが、社会人一年目にして初の世界大会出場を果たしました。
また9月の全日本実業団200mでは日本の第一人者であり、同時に大学・会社の先輩でもある髙平慎士選手を下し、国内トップクラスの実力を示しました。

勢いに乗った2012年は日本選手権200mを初優勝!記録も20.42まで短縮し、五輪代表の座を勝ち取りました。
ロンドンオリンピックでも個人としては初の世界大会参加ながら、200m準決勝に進出します。準決勝はヨハン・ブレイク選手と同組で走り、残念ながら組8着となりましたが、次につながる形でオリンピックを終えます。

2013年は100mへの参加も増えていき、日本選手権では100m・200mともに3位入賞を果たします。その当時の日本では高いレベルで両種目をこなせる選手が皆無だったため、伊東浩司氏からも高い評価を受けていました。
2014年は春先から絶好調。200mで20.34、100m10.13の自己ベストをマーク。秋のアジア大会では当初リレーのみの参加予定でしたが、急遽100mにも出走する事に。代表に選ばれていた桐生祥秀選手が怪我のため出場困難になったためです。
「桐生ならば必ずメダル争いをするはず。自分も最低でも銅メダルは取らなければならない」という厳しい覚悟を以て臨んだ100m。ナイジェリア出身の黒人選手フェミ・オグノデと、蘇炳添選手に続く3着に。見事銅メダルを獲得します!ハイレベルなレースで、実力を発揮しました。

2015年は春から快進撃を見せます。
ゴールデングランプリ川崎100mでは、難敵「蘇炳添」を下し、10.09(-0.1)の自己ベストをマーク。日本人選手としては、向かい風の条件下で初めての10.0台を記録しました。
その後の東日本実業団選手権200mで日本歴代二位(当時)となる20.14をマーク。あの伊東浩司氏の記録を上回りました。
二冠を狙った日本選手権では200mで惜しくも3位となりましたが、100mは優勝。満を持して北京世界選手権を迎えます。

北京世界選手権では、まず100mに出場。ゴールデングランプリの結果から、準決勝でもある程度戦える力を有していると思われましたが…。結果は残念ながら予選敗退。10.15(-0.1)という決して悪くない走りでしたが、平均的なレベルが高い大会でした。
200mではロンドンオリンピック以来の準決勝進出を果たしましたが、準決勝でまたも失速してしまい、組8着に終わります。

その後は故障を重ね、少しずつ調子を落としていきます。2016年はリオデジャネイロオリンピック200mに参加しますが、予選落ちに。4×100mリレーにも出場をもうアピールしていましたが、残念ながら補欠で終わります。(高瀬選手が走れなかったリレーは銀メダルを獲得。ちなみに練習時のタイム測定では、ケンブリッジ飛鳥選手でなく高瀬選手が走った方が結果が良かったようです。)

高瀬慧の走り方(ランニングフォーム)

高瀬選手の疾走フォームです。
まず彼の形体的な特徴として、胸腰椎の前弯が強く、大殿筋が非常に発達しているスプリントに特化した体型です。タイソン・ゲイ選手を彷彿とさせますね。(余談ですが、日本人でこの体型の方は他のスポーツが極端に苦手な場合が多い印象です。高瀬選手もキャッチボールがまともにできないと聞いたことがあります。)
重心位置は低く、前方への腕ふりが強調される、独特の走り方です。

リオデジャネイロ五輪後は引退も検討していましたが、東京五輪まで競技継続する事を決意します。2017年現在は怪我で満足に走れない状況が続いていますが、輝きを取り戻す日を期待しましょう。

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