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桐生祥秀と山縣亮太 宿命のライバル関係

2017年9月9日、桐生祥秀選手が悲願の9秒台を達成しました。日本中が大熱狂し、号外も配布されました。
大会後のインタビューで多数の知人からお祝いメッセージをもらったと話す桐生選手。その中でも、山縣亮太選手から”おめでとう”のメッセージをもらった時は感極まり、涙が出そうになったと話しています。
これまで数多くの激戦を繰り広げてきた二人。ここで少し彼らの戦いの軌跡を振り返りたいと思います。


2012年

山縣選手が台頭。春先に織田記念陸上で10.08をマーク、さらにロンドン五輪では予選で10.07の日本人五輪最高記録をマークする激走を見せました。準決勝でもそうそうたる顔ぶれの中で好走し、決勝進出に迫りました。長く待ち望まれた、速さと強さを兼ね備えた日本の絶対エース誕生を予期する活躍でした。


一方桐生選手は高校二年生ながら秋に10.21、10.19と立て続けに高校記録を更新。将来を期待されましたが、まだ山縣選手と比較するレベルにはありませんでした。


2013年

織田記念陸上で山縣選手の9秒台が期待される中、予選で桐生選手が10.01という衝撃的なタイムを叩き出します。決勝レースでは両者の初めてとなる直接対決が実現し、桐生選手が100分の1秒差で勝利を収めます。日本のエースとして期待されていた山縣選手にとっては、高校生に敗北するという屈辱的な結果に終わりました。


その後日本選手権決勝で再戦。山縣選手がスタートから完璧なレース展開を見せ、桐生選手に完勝しました。山縣選手の勝負強さが光る結果に終わります。


2014年

山縣選手は怪我の影響で調整が遅れます。対する桐生選手は5月に10.05のタイムを出し絶好調。日本選手権では山縣選手も力を出し切りますが、地力の差で桐生選手が勝利します。
またこの後、桐生選手は世界ジュニアで銅メダルを獲得しました。


2015年

3月に行われたアメリカ・テキサスリレー100mで対戦。ここで桐生選手が9.87(+3.3)という衝撃の記録をマークし、優勝。対する山縣選手は10.15で8位に終わりました。このシーズンは両名とも怪我の影響があり世界選手権は出場できず。高瀬選手の活躍やサニブラウン選手の台頭が目立った一年でした。


2016年

春先から山縣選手が復調を見せます。ゴールデングランプリ川崎では桐生選手に先着し、布施スプリントでは二度対戦。第一レースは桐生選手、第二レースは山縣選手が勝利しました。
決着の舞台となった日本選手権では山縣選手が先着しましたが、優勝は第三の男ケンブリッジ選手でした。
リオデジャネイロ五輪では山縣選手が準決勝で歴史的な好走を見せ、決勝進出にわずかの所まで迫りました。対する桐生選手は実力を発揮できず予選敗退と、”強さ”という面では明暗を分ける結果になりました。
また4×100mリレーではチームとして臨み、銀メダルを獲得。二人がリレーで揃ったのは、現在の所これが最初で最後です。


2017年

キャンベラで行われた競技会に二人で参戦。予選から二人とも10.0台を叩き出すという衝撃のシーズン幕開けとなり、直接対決となった決勝レースは山縣選手が勝利します。この後、山縣選手は足関節の怪我により戦線離脱。
日本選手権では桐生選手は力を発揮できず4位に終わり、山縣選手は怪我の影響もあり6位に終わります。日本の短距離界を引っ張ってきた二大エースが、どちらも世界大会個人種目代表の座から外れるというショッキングな結果に終わります。大会後のインタビューでは桐生選手が「また山縣さんと一緒に頑張っていきたい」と復帰に向けた決意を語りました。
その後桐生選手は世界選手権リレー銅メダル獲得を経て、9月9日に日本インカレで9.98をマーク。日本の長きにわたる悲願を達成しました。


このように、数々の激戦を繰り広げてきた両雄。それぞれに短距離界の第一人者としての矜持があったはず。絶対に負けられない相手であり、また他の選手達とは異なる存在だったのだと思います。だからこそ桐生選手も、山縣選手からのお祝いの言葉には特別な感情を抱いたのでしょう。
有力選手は増えてきましたが、それでもライバルは山縣選手であると言い放った桐生選手。今後もまた競い合い、さらに壁を乗り越えていく二人の姿が見たいですね。

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