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藤光謙司|プロフィール・経歴・走り方の紹介【陸上】

藤光謙司のプロフィール‏

氏名

藤光 謙司‏(ふじみつ けんじ)

生年月日

1986年5月1日

出身地

埼玉県浦和市

所属

三室中学校
市立浦和高等学校
日本大学
セーレン
ゼンリン

身長

182cm

体重

69kg

自己記録

100m 10秒23
200m 20秒13
300m32秒31(日本・アジア最高記録)
400m 46秒13

主な戦績

2001年 全日本中学校陸上競技選手権大会100m・200mともに予選敗退
2003年 世界ユース選手権 200m準決勝敗退
全国高等学校陸上競技対校選手権大会100m3位・200m2位
国民体育大会少年男子A100m6位
2004年 国民体育大会少年男子A100m2位
2005年 日本インカレ200m6位
2007年 日本インカレ200m3位
日本陸上競技選手権大会200m6位
アジア選手権200m優勝
2008年 日本陸上競技選手権大会200m8位
日本インカレ100m8位・200m準決勝敗退
2009年 日本陸上競技選手権大会00m3位
ベルリン世界選手権200m二次予選敗退
国民体育大会成年男子200m優勝
東アジア大会200m優勝
2010年 日本陸上競技選手権大会200m優勝
広東アジア大会200m2位
2011年 日本陸上競技選手権大会200m8位
2012年 日本陸上競技選手権大会200m5位
2013年 日本陸上競技選手権大会200m3位
モスクワ世界選手権4×100mリレー3位
2014年 日本陸上競技選手権大会200m4位
2015年 IAAF世界リレー大会4×100mリレー3位
日本陸上競技選手権大会200m優勝
北京世界選手権200m準決勝敗退
国民体育大会成年男子100m優勝
2016年 日本陸上競技選手権大会200m6位
リオデジャネイロオリンピック200m予選敗退
2017年 日本陸上競技選手権大会200m2位
ロンドン世界選手権4×100mリレー3位

藤光謙司の経歴

現在は日本短距離界のベテランとしての地位を確立している藤光選手。2017年ロンドン世界選手権4×100mリレーで銅メダルを獲得し、一躍時の人となりました。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。

彼は高校・大学の頃から、非常に高い評価を受けており、私の周りの高名な先生方や選手たちも、「藤光は天才」と口を揃えていました。しかし一方、「ガラスのスプリンター」とも呼ばれ、調子が上向きになってくるとハムストリングスの肉離れを再発させる、その悪循環を繰り返していました。

高校時代は二年時にインターハイ100m3位、200m2位入賞します(この時の優勝者は両種目ともに塚原直貴選手)。
三年時は怪我の影響のためインターハイに出場できず。秋の国体少年男子A100mには出場しますが惜しくも2位となり、高校時代は無冠に終わりました。

大学はスプリントの名門日本大学に進学。二年時の関東インカレ200mでは空前絶後の好条件となり、20.46の大幅自己ベストを記録。しかしこの後も肉離れを繰り返し、なかなか結果を出せない日々が続きます。
また上下の学年には髙平慎士、塚原直貴、齋藤仁志と当時日本のトップ選手が揃っており、インカレでも彼らの後塵に拝する事となります。結局大学でも国内タイトルには縁がなく、無冠に終わってしまいます。

逸材と期待されながら、結果を残せなかった藤光選手。彼は大学卒業後も競技を継続する事を決意し、セーレンに就職。実業団選手として活動を始めます。
社会人一年目の日本選手権200mでは20.55で三位入賞し、見事ベルリン世界選手権代表の座を勝ち取ります。本番では200m二次予選進出、4×100mリレー4位入賞という成績を残しています。

そして2010年。ついに彼の才能が開花します。
春先から絶好調を維持して臨んだ日本選手権200mでは、二連覇中の高平選手を破り見事初優勝!天才と呼ばれながら辛い競技生活を送ってきた藤光選手にとって、悲願の初タイトル獲得です。
秋には広州アジア大会に出場。200mでは現アジア記録保持者の黒人選手フェミ・オグノデに敗れたものの、銀メダルを獲得します。

しかしその後は再び故障を繰り返し調子を落としていった藤光選手。2012年にはセーレンとの契約も終了となり、ゼンリンに所属を変更します。
2013年モスクワ世界選手権はリレー要因として参加。6位に入賞します。

彼がふたたび調子を取り戻したのは2014年。春先に出雲陸上にて300m32.25のアジア記録を樹立。布施スプリントで100m10.28の自己ベスト更新、全日本実業団で100m・200mの二冠、アジア大会4×400mリレーの金メダル獲得と、堅実な実績を残します。

そして飛躍の年となった2015年。春先に自身の持つ300mアジア記録を32.21に更新。その後のワールドリレーズでは銅メダルを獲得し、リオデジャネイロ五輪参加資格を獲得します。
日本選手権200mでは20.32の自己ベストで優勝。さらにルツェルンで行われた競技会では200m20.13の大幅自己ベスト、日本歴代二位(当時)をマークします。
絶好調で迎えた北京世界選手権では、残念ながら準決勝敗退に終わりましたが、とてもパフォーマンスが安定したシーズンとなりました。

2016年は怪我で調子を落とします。日本選手権は決勝で大失速し、6位に終わります。実績を考慮し代表に選考されますが、リオデジャネイロ五輪でも予選敗退に終わります。日本のエースとして活躍した昨年からは考えられない、失意の一年になりました。

年齢的な事もあり、一度は引退を考えたそうですが、東京五輪を目指しリスタートを決意。
2017年は目立つ記録は出していませんが、比較的安定したパフォーマンスを見せます。日本選手権は2位になりますが、参加標準記録を突破していないためロンドン世界選手権200mは出場できず。リレーの要員として参加しました。

ロンドン世界選手権4×100mリレーでは、予選でアンカーを務めたケンブリッジ飛鳥選手の走り・バトンワーク共に難があったため、決勝は藤光選手に走者変更。ジャマイカの途中棄権もあり、見事銅メダルを獲得しました。

また当時の200mは非常にレベルが高く(今もですが)、絶対エース末續慎吾選手を筆頭に、高平慎士選手、同世代の齋藤仁志選手らの前に、あと一歩及ばない、という状況でした。

初めて日本選手権を制したのは社会人二年目の2013年。20.38の好記録で、高平選手を下しています。同年のアジア大会では、後にアジア最速の称号を手にするフェミ・オグノデ選手に敗れはしたものの、見事に銀メダルを獲得します。

その後も安定した競技力を維持し、2015年には再度日本選手権を制し、記録も20.13まで短縮させます。

藤光謙司の走り方(プロフィール)


藤光選手の疾走フォームです。
身体の使い方の上手さ・柔らかさは天性のものですが、学生時代はもう少し力が分散しており、下腿の振り出しも大きかった印象です。その走り方の影響もありハムストリングス肉離れを多発していましたが、現在は大きく改善されています。
また以前はトム・テレツ氏の指導を受けており、遊脚のリカバリーを意識していませんでした。そのためやや足が流れ気味でしたが、2014年あたりから改善されています。
彼の走りは非常に完成度が高く、勉強になる点が多々あります。
ちなみに彼の足は、間近で見るとまるで馬の様ですよ(笑)

200mランナーとしての完成度は、末續慎吾選手に次ぐナンバー2だと私は考えています。
ぜひ世界大会ファイナルを目指して頂きたいです。

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