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塚原直貴|プロフィール・経歴・走り方の紹介【陸上】

塚原直貴のプロフィール

氏名

塚原 直貴(つかはら なおき)

生年月日

1985年5月10日

出身地

長野県岡谷市

所属

岡谷北部中学校
東海大学付属第三高等学校
東海大学
富士通

身長

180cm

体重

78kg

自己記録

100m 10秒09
200m 20秒35

主な戦績

2000年 全日本中学校陸上競技選手権大会100m4位・200m3位
ジュニアオリンピック少年B200m優勝
2001年 全国高等学校陸上競技対校選手権大会4×100mリレー準決勝敗退
国民体育大会少年男子B100m準決勝敗退・400m7位
ジュニアオリンピック少年A200m2位
2002年 全国高等学校陸上競技対校選手権大会200m5位
国民体育大会少年男子A100m6位・4×100m7位
2003年 日本ジュニア選手権200m優勝
全国高等学校陸上競技対校選手権大会100m優勝・200m優勝
国民体育大会少年男子A100m7位
2004年 関東インカレ100m8位
日本陸上競技選手権大会100m予選敗退・200m3位予選敗退
日本ジュニア選手権100m2位・200m3位
日本インカレ100m予選敗退・200m6位・4×100mリレー優勝
2005年 日本インカレ100m7位
国民体育大会成年男子100m4位
2006年 関東インカレ100m2位・200m2位・4×100mリレー優勝
日本陸上競技選手権大会100m優勝・200m3位
国民体育大会成年男子100m2位
ドーハアジア大会100m2位・4×100m2位
2007年 関東インカレ100m優勝・200m2位・4×100mリレー2位・4×400mリレー2位
日本陸上競技選手権大会100m優勝・200m3位
大阪世界選手権100m二次予選敗退・4×100mリレー5位
国民体育大会成年男子100m優勝
2008年 日本陸上競技選手権大会100m優勝
北京オリンピック100m準決勝敗退・4×100mリレー2位
2009年 日本陸上競技選手権大会100m決勝棄権
ベルリン世界選手権100m準決勝敗退・4×100mリレー4位
2010年 日本陸上競技選手権大会100m2位
2012年 日本陸上競技選手権大会100m5位
国民体育大会成年男子100m3位
2013年 日本陸上競技選手権大会100m4位
2014年 日本陸上競技選手権大会100m5位
2015年 日本陸上競技選手権大会100m6位

塚原直貴の経歴


大舞台にめっぽう強く、世界大会100mでは二度の準決勝進出。北京オリンピックでは4×100mリレーの一走としてメダル獲得に大いに貢献しました。キャリア終盤は怪我の影響で日本代表の座からは遠のいていましたが、間違いなく一時代を築いたスプリンターです。

陸上競技は小学校の時から始めており、彼は早期よりその才能を発揮しています。中学時代には既に100m10.8台を記録し、全日中では100m4位、200m3位に入賞。非常に短距離のレベルが高い学年で、特に山本慎吾選手は数々の学年別日本記録を保持していました。

高校進学後も順調に成長を続け、二年時にはインターハイで200m5位入賞、三年時には100m・200mの二冠を達成しています。ちなみに私が初めて購入した月刊陸上競技がこの時のインターハイ特集の物。当時はインパクトが強く、その影響で個人的にも印象に残っている選手です。
ちなみに彼が高校三年の時は2003年。末續慎吾選手がパリ世界選手権にて200m銅メダルを獲得した、短距離界にとってはメモリアルな年です。その影響もあり、高校卒業後は東海大学に進学します。

大学一,二年時は大きな結果は残せなかったものの、三年時の春にブレイク。関東インカレ100m・200mでともに二位に入賞します。この時の優勝はいずれも高平慎士選手なので、大健闘と言えるでしょう。(余談ですが、この時の関東インカレ200mは空前絶後の好条件。出場選手の大多数が自己記録をマークしています。200mはたまにこういう事が起きますね。)
その後も躍進は続き、日本選手権100mを制します。一躍、日本のトップランナーとなりました。

翌2007年。春先から好調の朝原宣治氏を下し、日本選手権100mを連覇します。見事初のシニア世界大会日本代表の座を勝ち取り、大阪世界選手権出場を果たします。
世界選手権本番も100m一次予選で見事に自己記録更新。二次予選での敗退に終わりましたが、大舞台での勝負強さを示しました。4×100mリレーでは一走を努め、5位に終わりましたが非常に会場を沸かせました。

そして2008年。日本選手権は再度朝原氏を抑え、三連覇を達成。
名実ともに日本の第一人者として迎えた北京オリンピック。持ち前の勝負強さを発揮し、準決勝に進出します。他の短距離種目では皆が予選で姿を消す中、ただ一人健闘したといっても良いでしょう。
続いて迎えた4×100mリレーは、異様な状況となりました。強豪国がバトンアクシデントなどで多数予選敗退に。日本チームは、メダル獲得の大チャンスを手にします。
しかし、いまいち調子の上がらないベテラン朝原選手と、満身創痍の末續選手。何より、塚原選手自身足に不安を感じていました。

リレーでの選手紹介時、塚原選手は自身を奮い立たせるように、カメラを睨み付けるパフォーマンスを見せます。解説の伊東浩司氏が、「テンションが高すぎます。落ち着いていきましょう」とコメントしたのは、有名な話です。
しかし一走として見事な飛び出しを見せ、オリンピック短距離種目で初のメダル獲得へと至ります。

2009年は日本選手権予選で、10.09をマーク。それまで10.0台というのは、伊東・朝原・末續の三選手しか踏み入れた事の無い特殊な領域として認識されていましたが、その壁を乗り超えた彼の功績は大きいです。日本の絶対エース誕生と思われましたが、直後に準決勝で江里口匡史選手がそれを上回る10.07を記録し、少しずつ歯車が狂いました。

ベルリン世界選手権では再度100m準決勝に進出。しかし、この大会が最後の世界大会出場となりました。翌年にはタイソン・ゲイと合同トレーニングを開催するなど、積極的な活動は見られましたが、徐々にアキレス腱の障害が強くなり代表の座からは遠のいていきました。

怪我の影響もあり、2016年を以て競技から退くことを表明。2017年6月11日、地元長野で行われた混成競技日本選手権の大会中に引退レースが行われました。
地元の人々に見守られた中、塚原選手の熱い競技生活に幕を閉じました。

塚原直貴の走り方(ランニングフォーム)


塚原選手のランニングフォームです。
彼の走りは、重心を落とし込み、いわゆる<浮かない走り>といったものを徹底しています。
上記の動画は彼の長所を良く表しており、まず第一にキック時の膝・足関節が見事に固定されています。モーリス・グリーンを彷彿とさせる動作で、彼のこの動作は高校時代に既に完成されていました。
もう一点は、頭部の重量を上手に利用している事です。接地直前に、うなずくような動作が観察されるかと思います。頭部の重量は体重の9%程度と言われ、それが落下する力を上手に利用しているのです。
キャリア前半は末續選手の影響を強く受け、足を挟み込む動作を強調していましたが、後期は接地のアクセントを強めていった印象があります。

2015年にはベリーダンサーの内藤未映さんと結婚しており、ご子息も誕生しています。今後の活動は明確には決まっていないとの事ですが、彼の事です。きっと何かしらの形で熱い姿を見せてくれることでしょう。

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