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高平慎士|経歴と走り方(ランニングフォーム)の紹介

プロフィール

氏名:高平 慎士(たかひら しんじ)

生年月日:1984年7月18日

出身地:北海道旭川市

所属:旭川市立六合中学校
旭川大学高等学校
順天堂大学
富士通

身長:180cm
体重:62kg

自己記録

100m 10秒20
200m 20秒22

主な戦績
1999年 全日本中学選手権110mハードル4位
2000年 全国高等学校陸上競技対校選手権大会100m予選敗退
2001年 全国高等学校陸上競技対校選手権大会100m3位
2002年 全国高等学校陸上競技対校選手権大会100m5位・200m優勝
アジアジュニア選手権200m優勝・4×100mリレー優勝・4×400mリレー優勝
2003年 日本陸上競技選手権大会200m8位
ユニバーシアード4×100mリレー優勝・4×400mリレー4位
2004年 日本陸上競技選手権大会200m優勝
アテネオリンピック200m一次予選敗退・4×100mリレー4位
2005年 ユニバーシアード4×100mリレー2位・4×400mリレー2位
日本陸上競技選手権大会200m優勝
ヘルシンキ世界選手権200m一次予選敗退
東アジア競技大会200m優勝・4×100mリレー優勝
2006年 日本陸上競技選手権大会200m2位
アジア競技大会200m三位・4×100mリレー2位
2007年 日本陸上競技選手権大会200m2位
大阪世界選手権200m二次予選敗退・4×100mリレー5位
2008年 日本陸上競技選手権大会200m優勝
北京オリンピック200m二次予選敗退 4×100mリレー2位
2009年 日本陸上競技選手権大会200m優勝
ベルリン世界選手権200m二次予選敗退・4×100mリレー4位
2010年 日本陸上競技選手権大会200m3位
2011年 日本陸上競技選手権大会200m優勝
大邱世界選手権200m準決勝敗退
2012年 日本陸上競技選手権大会200m3位
ロンドンオリンピック200m準決勝敗退・4×100mリレー4位
2014年 日本陸上競技選手権大会200m6位
アジア競技大会4×100mリレー2位
2015年 日本陸上競技選手権大会200m8位

日本人離れした長い手足に、そこから繰り出される雄大な走り。そのスケールの大きさに、誰もが期待を抱いたことでしょう。あの伊東浩司氏に「資質は末續慎吾以上」と言わしめた逸材です。日本代表の常連で、2004年アテネ五輪~2012年ロンドン五輪まで、世界大会は全て出場しました。

彼が陸上競技を始めたのは小学校四年生の時。当初はハードル競技も兼ねており、中学三年時の全日中では110mハードルで4位に入賞しています。この実績があるため、後に為末大選手が執拗に400mハードルに勧誘していました(笑)。

高校進学後は徐々に短距離種目に専門を絞ります。徐々に全国大会でも結果を残し始め、二年時にはインターハイ100mで3位に入賞。三年時の200mでは強敵相川誠也選手を下し、史上最高レベルのレースを制します。

高校卒業後は北海道を離れ、順天堂大学に進学。その期待の高さに違わぬ活躍を見せ、二年時には早くも日本選手権200mを制し、アテネ五輪代表に選出されます。
しかし五輪本番は、残念ながら一次予選敗退と外国人選手の前に力を発揮できず終わってしまいます。指導していた佐久間コーチは、このレースをきっかけに競り合いで力む癖がついてしまったと後に振り返っています。

翌年は日本選手権200mを連覇します。しかし、それでも彼が日本一と認められる事はありませんでした。なぜなら、その上には常に末續慎吾選手の存在があったからです。
2005年ヘルシンキ世界選手権は再度一次予選敗退、2007年大阪世界選手権は二次予選敗退。
世界大会では結果が振るわず、厳しい時が続きました。

転機となったのは2008年北京オリンピック。200mでは二次予選敗退となりましたが4×100mリレーで銅メダル(後に銀メダルに繰り上げ)を獲得します。当リレーは強豪国の失格など運に恵まれた面もありますが、日本チームも決して好コンディションではありませんでした。いまいち調子の上がらない朝原宣治選手、絶不調の末續慎吾選手、足に違和感がある塚原直貴選手と、不安材料が多かったのです。
そんな中、高平選手は3走として力を発揮。外レーンから怪物ウサイン・ボルト選手の圧力がかかる中、見事なコーナーワークを見せ二番手でアンカーにバトンを繋ぎました。
メダル獲得に対し、彼の活躍は非常に大きかったと思います。

その後は朝原氏の引退、末續選手の長期休養があり、日本短距離チームの大黒柱として活躍します。
世界大会にも出場を続け、2009年ベルリン世界選手権は二次予選敗退、2011年大邱世界選手権は準決勝敗退、2012年ロンドンオリンピックも再度準決勝敗退と、徐々にラウンドを重ねられるようになりましたが決勝進出には至りませんでした。
これだけ長い期間日本代表の座に居続け、4×100mリレーの顔とも呼べるその存在感は、まるでかつての朝原宣治氏を彷彿とさせるものでした。
2013年以降は力に陰りが見え始め、また若手の台頭もあり代表の座からは遠のいていきます。

2017年シーズンをもって現役引退する事を表明しており、一人の偉大なスプリンターがその競技生活に幕を閉じます。



彼の疾走フォームです。彼は学生時代から長きにわたりトムテレツ氏(カールルイスの師)の指導を受けていたため、地面をプッシュする事に主眼を置いた走りになっています。その影響もあってか、近年のスプリンターとしては離地後の踵巻き上げ動作が大きめです。
滞空時間が長く、流れるような滑らかな動きが印象的です。


かつて私も競技場でご一緒する機会が多く、一本ずつビデオで確認し、修正していくその練習過程は、鬼気迫るものがありました。彼がいる時は、私も自然に緊張感が増したものです。
最近はレースの解説やテレビ出演も増えており、コメント力も高いなと感じています。今後はどのような活動をされていくのか、とても楽しみです。

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