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ケンブリッジ飛鳥|経歴と走り方(ランニングフォーム)の紹介

 

プロフィール

氏名:ケンブリッジ 飛鳥 (けんぶりっじ あすか)

生年月日:1993年5月31日

出身地:ジャマイカ

所属:
大阪市立淀川中学校
江東区立深川第三中学校
東京高等学校
日本大学
ドーム
ナイキ

身長:180cm
体重:76kg

自己記録

100m 10.08
200m 20.62

主な戦績
2008年 全日本中学校陸上競技選手権大会200m予選敗退
2011年 全国高校総体100m3位、200m4位、4×100mリレー優勝
日本ジュニア陸上競技選手権大会 200m優勝
国民体育大会100m4位
2012年 関東学生陸上競技対校選手権大会100m7位、200m2位
日本学生陸上競技対校選手権大会200m5位
世界ジュニア 4×100mリレー3位
2013年 関東学生陸上競技対校選手権大会100m3位、200m2位
日本学生陸上競技対校選手権大会100m4位、200m2位
東アジア大会200m・4x100mR優勝
日本陸上競技選手権大会100m6位
2014年 関東学生陸上競技対校選手権大会100m2位
2015年 織田記念陸上100m優勝
関東学生陸上競技対校選手権大会100m優勝
日本学生陸上競技対校選手権大会100m8位
日本陸上競技選手権大会100m4位
2016年 日本陸上競技選手権大会100m優勝
リオデジャネイロオリンピック100m準決勝進出、4×100mリレー銀メダル
2017年 日本選手権100m3位


2016年、一躍時の人となったケンブリッジ飛鳥選手です。その才能は早くから注目されており、順天堂大学の鯉川なつえ監督は、「日本人初の9秒台を出すのは、間違いなく彼だ」と豪語していたのを覚えています。個人的にも注目していましたが、非常に怪我が多く、なかなか花開くのに時間がかかった印象です。

彼は1993年、ジャマイカ人の父親と日本人の母親のもと、誕生します。二歳まではジャマイカで暮らし、その後大阪に移住します。(そのため、英語は話せないようです)
小学校時代はサッカークラブに所属しており、陸上競技を始めたのは中学校に進学してから。当時から足が速かったため、陸上部の監督に勧誘され、入部します。
中学時代は全日中に200で出場します。当時のベストは23秒を少し切った程度で、まだまだトップには遠いレベルでした。

高校は陸上競技の名門、東京高校に進学します。同校は近年すばらしい実績をあげており、2014-2015年は二年連続アベックでインターハイ100mを制覇するという偉業を達成しています。
ケンブリッジ選手も進学後は順調に記録を伸ばし、三年時は日本ジュニアで200mを制し、また日本選手権リレー予選で4×100mリレー高校記録(当時)をマークします。

その後日本大学に進学し、渕野辰雄コーチのもとでトレーニングを積み、学生の大会で安定した実績を重ねます。当時から、自己記録のわりに良い戦績を残すという印象がありました。一方でなかなか世界大会参加標準に迫る記録や、ビッグタイトル獲得には至らない時期が続きます。

ついに飛躍の時か?と思わせたのは、2015年織田記念陸上です。直前に、アメリカ・テキサスリレーにて9.87(+3.3)をマークした桐生祥秀選手の凱旋レース。いよいよ日本記録更新か?と日本中が注目した大会です。
その大会で、桐生選手はまさかの敗北。優勝したのが、ケンブリッジ選手でした。必然的に、その後への期待は高まります。しかし、その後関東インカレ100mを制するも、再度ハムストリングスの故障にて、戦線離脱。こうして彼の大学生活は幕を閉じます。

国際的な活躍ができずに終わってしまった大学時代。しかし、大前祐介氏(200m日本ジュニア記録保持者)からの勧誘もあり、ドーム株式会社(アンダーアーマーの輸入など、主にスポーツ関連事業の会社)に入社。実業団選手として活動する機会を得ます。

2016年は春先から順調で、4月の織田記念陸上では山縣亮太選手に敗れたものの、好走し2位になります。そして起点となった東日本実業団選手権。絶好の追い風が続く中、100m予選で見事に10.10の自己ベストをマーク。念願のオリンピック参加標準記録突破を果たします。
モデルのような端正な顔立ち・肉体美も相まって、マスメディアにも大きく取り上げられ、桐生祥秀選手・山縣亮太選手に続く「第三の男」として注目を浴びます。

そして迎えた日本選手権。春先からバチバチのライバル対決を繰り広げてきた桐生・山縣選手と、自己記録は一歩及ばないものの、勝負強さを誇るケンブリッジ選手。
決勝にて、ついに三強の対決が実現しました。降りしきる雨の中、ケンブリッジ選手と山縣選手がほぼ同時にフィニッシュ。少し時間をおいてから、一着のアナウンスがあり、天に指を突き上げたのはケンブリッジ選手でした。
その実力は本物だと証明した瞬間です。

日本選手権を制し、日本王者として挑んだリオデジャネイロオリンピックは、100m、4×100mリレーに出場しました。100mは最激戦の4組にエントリー。この組は、銅メダルを獲得するアンドレ・ドグラス、またその他も蘇炳添、ジミー・ビコ、チュランディ・マルティナなど、世界トップクラスの実力者が揃いました。
正直、ラウンド突破は難しいと思いましたが、見事二着で準決勝進出を果たしました。持ち前の勝負強さを発揮し、持てる力を出し切った結果だと思います。
準決勝では残念ながら組最下位に終わってしまいましたが、ベストタイム10.1台だという事を考慮すると、大健闘と言えるでしょう。

そして迎えた4×100mリレー。アンカーとして参戦し、予選からアジア記録を更新。決勝ではウサイン・ボルトの隣を走り、見事に銀メダルを獲得します。決勝の動画はYoutubeのNHKチャンネルにおいて、全競技中ダントツの再生数を誇り、最も注目・評価されたと解釈しても良いでしょう。
2016年は彼にとって大飛躍の年でしたが、同年をもってドームを退社。プロアスリートとして活動する事を宣言し、その後はナイキとスポンサー契約を結びます。

2017年は春先からアメリカで転戦し、フロリダの競技会で追い風5.1ながら9.98をマーク。しかしその後はいまいち調子が上がらず、国内の選手にも連敗していましたが、日本選手権では10.08の自己ベストをマークします。決勝は足のアクシデントもありましたが、サニブラウン選手・多田選手につぎ、なんとか三着を確保。ロンドン世界選手権の代表に選出されます。


 

彼の疾走フォームです。筋力トレーニングを重視しているとの事で、かなり上体の筋肉量が多く、どっしりと安定しています。このタイプの究極系が全世界記録保持者のアサファ・パウエル選手ですね。
腕ふりも比較的高めに振り上げているのが特徴的です。以前、「走りが日本人らしくない」と自分でコメントしていましたね(笑)。

インタビューでは常に強気なコメントをしており、「目標は9秒8の先」と発言しています。自己記録をもう一段階あげて、世界で勝負する姿を見たいですね。

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