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ヨハン・ブレイク|経歴と走り方(ランニングフォーム)の紹介

プロフィール

氏名:ヨハンブレイク(Yohan Blake)※最近はブレークと表記される事も

生年月日:1989年12月26日

出身地:ジャマイカ セント・ジェームス教区

所属:レーサーズトラッククラブ

身長:180cm
体重:76kg

自己記録

100m 9秒69
200m 19.26

主な戦績
2005年 世界ユース陸上競技選手権大会100m7位
2006年 世界ジュニア陸上競技選手権大会 100m3位、400mリレー金メダル
2008年 世界ジュニア陸上競技選手権大会100m4位
2011年 大邱世界陸上競技選手権大会100m・400mリレー金メダル
2012年 ロンドンオリンピック100m・200mともに銀メダル、400mリレー金メダル
2016年 リオジャネイロオリンピック100m4位、400mリレー金メダル


個人的に、とても好きな選手です。ガオーッのポーズはおなじみでしたね。
ウサイン・ボルト選手に次ぐ、史上二番目に強い選手。ボルト選手と同門のレーサーズトラッククラブ所属にして、トレーニングパートナーでありロンドン五輪では最大のライバルでした。
ちなみにかつての愛称<野獣 The beast>は、ボルト選手がマスコミに対し、「ブレイクは野獣だ。彼の今後に注目しろ」といった事がきっかけです。

その資質はジュニア時代から高く評価され、10.11のジャマイカジュニア記録を保持しています。その後19歳196日で9.96をマーク。当時史上最年少での9秒台突入です。
その時はじめて彼の存在を知りましたが、写真を見ただけで資質の高さが伝わってきました。
非常に長いアキレス腱。肩や臀部周囲には、発達し隆起した筋肉。まるで立ち上がったクロヒョウのような印象です。

2009年は世界選手権出場資格を得ますが、ドーピング違反にて代表取り消しになってしまいます。これはメチルヘキサンアミンという興奮剤摂取によるものですが、当時は明確に違反薬物として規定されていない種類のものでした。しかし指定禁止薬物ツアミノヘプタンに類似していると指摘され、ドーピング違反と判断されます。
要するに、コーチ陣がグレーゾーンを狙ったという事です。このあたりは規則の曖昧さと、彼のコーチ陣の認識不足が問題と思われます。結局、三か月の競技会出場停止処分となります。

その後は順調に記録を伸ばし、2011年には大邱世界選手権に出場。
100m決勝では、主役であるウサイン・ボルト選手がまさかのフライング失格に終わり、本命不在となりました。やや騒然とした状況でしたが、ブレイク選手はとても落ち着いたレース運びを見せ、見事に優勝を果たします。記録は9.93(-1.4)。悪条件を考慮すると、今後が期待できるタイムです。

約二週間後にチューリッヒで行われた大会では、100mを9.82で制し、自己記録を大幅に更新します。しかしこの一週間後、さらなる衝撃が陸上界を襲います。
ブリュッセルで行われたダイヤモンドリーグ最終戦にて、200m19.26を叩き出したのです!さらにこの時のリアクションタイムは0.268と非常に遅く、すなわち純粋に走った時間だけで言えば世界記録を上回っています。
そしてこの頃から、彼とボルト選手の関係に少し変化が現れます。

翌2012年、オリンピックイヤーです。ついにボルト選手との、同門ライバル対決が始まります。ジャマイカの代表選考会にて100m9.75の自己ベストをマークし、ボルト選手に完勝
その後200mでも競り合いを制し、優勝します。
そしてこの後、ある出来事が発生します。200mウイニングランの最中、彼は観客に向かって<しーっ>というポーズをとったのです。つまり、「静かにしろ。誰が一番速いか分かっただろ」という意味です。
ボルト選手は帰宅後、テレビでレース内容を確認していた際、この事を知ります。彼のプライドはズタズタです。そして必ず、ロンドン五輪でリベンジする事を心に誓います。
日本ではまったく報じられませんでしたが、このようにブレイクーボルトの複雑なライバル関係があったのです。

そして迎えた、ロンドンオリンピック。予選・準決勝はいずれも日本の山縣亮太選手と同走。準決勝では流れるような走りで9.85をマーク。まだ全力は見せていません。ガトリン選手・ゲイ選手も調子は悪くなさそうですが、余力は感じられません。つまり、この時点で決勝はボルト対ブレイクの一騎打ちが予想されていました。
決勝は大歓声の中スタートしました。中盤まではブレイク―ガトリン―ゲイの三つ巴でしたが、そこから本来の力を発揮したボルト選手が一気にリード。結果はボルト選手の圧勝でした。
その後200mでも一騎打ちの様相は変わりませんでしたが、ボルト選手は100mの優勝で自信を取り戻し、余裕の表情です。レースは100m地点でわずかにボルト選手がリード、そのまま差が変わることなくフィニッシュした展開です。
二人のライバル対決に、決着がつきました。特に100mはオリンピック史上最高の盛り上がりだったのではないでしょうか。その立役者として、ボルト選手を追い詰めたブレイク選手の活躍を忘れてはいけません。

しかしその後、大きな挫折が彼を待っています。
2013年、レース中に重度のハムストリングス肉離れを受傷し、手術を余儀なくされます。
世界大会からは遠ざかり、9秒台も出せない時期が続きます。自分を信じられなくなり、一時は引退も考えたと話しています。

時は流れ、2016年。シーズン序盤から9秒台をマーク。そしてジャマイカの代表選考会にて悲願の優勝を果たし、復活をアピール。レース後、神に祈りを捧げている様子が印象的でした。
そしてリオジャネイロオリンピックに出場し、100mで4位入賞を果たします。まだ全盛期のキレは戻っていない印象でしたが、完成度の高い走りは健在です。

2017年もさらに力を戻しつつあり、ロンドン世界選手権で100m4位入賞を果たします。



彼の疾走フォームです。
前後にうねる脊柱、いわゆる腰を入れるという動作が抜群にうまいです。また、長い脚から繰り出される柔らかい振り出しが特徴的で、膝をかなり伸展させた状態で接地します。日本人ランナーではほとんど見られない動きです。
末續慎吾選手の重心位置を高くすると、このような走り方になるのではないでしょうか。


年齢的にも、まだまだ現役を続けられるはず。彼は非常にストイックな選手で、練習ではいつも極限まで追い込む姿勢をみせるそうです。
怪我には細心の注意を払い、ぜひ東京オリンピック金メダルを目指してほしいと思います。

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