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【アンドレ・ドグラス ❝ボルトの後継者に指名された男❞】

プロフィール

氏名:アンドレ・ドグラス(Andre De Grasse)

生年月日:1994年11月10日

出身地:カナダ オンタリオ州スカーバロー

所属:
ミリケン・ミルズ・ハイ・スクール
コフィービル・コミュニティ大学
南カリフォルニア大学
プーマ(プロ契約)

身長:176cm
体重:70kg

自己記録

100m 9秒91
200m 19.80(カナダ記録)

主な戦績
2015年 NCAA チャンピオンシップス100m・200m優勝
パンアメリカンゲームス100m・200m優勝
北京世界選手権100m銅メダル、4×100mリレー銅メダル
2016年 リオデジャネイロオリンピック
100m銅メダル、200m銀メダル、4×100mリレー銅メダル


カナダが誇る天才スプリンター、アンドレ・ドグラス。リオジャネイロオリンピックにおける彼の活躍は、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。
同大会で最もボルトにプレッシャーを与えていた選手でしょう。

1994年、彼はバルバドス出身の父と、トリニダード・トバコ出身で高校時代は短距離走に取り組んでいたという母のもとに生まれます。
幼少期はカトリック系の学校に通っていました。母ビバリーさんが熱心なカトリック信者で、彼もその信仰を受け継いでいるとの事です。

ドグラス選手は、幼少期はバスケットボールに取り組んでいました。本格的な競技というよりは、遊びの延長程度だったようです。
彼が初めて100mを走ったのは、高校二年生に相当する年。バスケットボールのユニフォーム、コンバースのシューズ、そしてスターティングブロック未使用という条件下、手動計測ながら10.9をマークしたそうです。そこで彼はトニー・シャープ氏(ロサンゼルス五輪カナダ代表、4×100mリレー銅メダリスト)に資質を見込まれ、コフィービル・コミュニティ大学に勧誘されます。2013-2014年は同校に通い、スプリンターとしてのキャリアをスタートさせます。

2015年には、南カリフォルニア大学に移ります。同校はアリソン・フェリックスなどを輩出した、陸上競技の名門中の名門です。
同年は彼にとって、飛躍の年になります。5月には早くも9.97と初の9秒台をマーク。
そして NCAA チャンピオンシップス(日本のインカレのようなもの)では、100mは9.75(+2.7)、200mは19.58(+2.4)と、いずれも追い風参考ながら驚異の記録で優勝します。その後彼は、パンアメリカンゲームも100m、200mともに制します。

満を持して迎えた北京世界選手権。彼は見事100m、4×100mリレーで銅メダルを獲得します。カナダとしては1999年、ブルニー・スリン氏以来のトラック種目メダル獲得になりました。
そして同年12月、彼はPUMAとプロ契約を締結。契約金は$11.25 million(約11億円)です。そのポテンシャルの高さを見込まれて、という事でしょうが・・・恐ろしい話ですね。

2016年のリオデジャネイロオリンピックにおいては、素晴らしい活躍でした。100m銅メダル、200m銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得。
200mの準決勝ではボルト選手と競り合い、19.80の自己ベストをマーク。4×100mリレーの決勝では、アンカーとしてケンブリッジ飛鳥選手を猛追します。3mほどは差を詰められたのではないでしょうか?あと2mほど距離があれば、日本チームは敗れていたかもしれませんね・・・・・。


ドグラス選手のランニングフォームです。
彼の最大の特徴は、胸腰椎の見事な前後弯運動でしょう。水泳のドルフィンキックのような、魚類の動きです。彼の場合は、この動作がコンパクトに行われます。ボルト選手も同動作が非常に優れていますが、もう少し柔らかく、大きく動きます。
2016年まではフォームも粗削りで、腕ふりの大きな左右差など見られていましたが、改良されたようですね。


ドグラス選手は話しています。「自分はボルトのようになりたいんじゃない。彼を超えたいんだ」と。
同世代にはトレイボン・ブロメル選手やクリスチャン・コールマン選手など、ライバルが多数います。競争は熾烈になると思われますが、しかし個人的には、ドグラス選手はまだ潜在能力を出し切っていない印象を持っています。
ひょっとしたら・・・・ひょっとするかも。ぜひ、今後に期待しましょう。

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