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フローレンス・ジョイナー|プロフィール・経歴・走り方の紹介【陸上】

フローレンス・ジョイナーのプロフィール

氏名

フローレンス・グリフィス=ジョイナー(Florence Griffith Joyner)

生年月日

1959年12月21日

出身地

アメリカ合衆国 ロサンゼルス

所属

カリフォルニア大学ロサンゼルス校
Tiger World Class Athletic Club

身長

170cm

体重

58kg

自己記録

100m 10秒49(世界記録)
200m 21秒34(世界記録)

主な戦績

1983年 ヘルシンキ世界選手権200m4位
1984年 ロサンゼルスオリンピック200m2位
1987年 ローマ世界選手権200m2位・4×100mリレー優勝
1988年 ソウルオリンピック100m優勝・200m優勝
・4×100mリレー優勝・4×400mリレー2位

フローレンス・ジョイナーの経歴

伝説の世界記録保持者。フロー・ジョーの愛称で知られていたジョイナー選手です。
日本のテレビ番組にも多数出演しており、知名度も高い選手です。100m・200mの世界記録はあまりにも傑出しているため、<不滅の世界記録>と呼ばれています。

1959年、彼女は貧しい家庭で生まれます。11人兄弟の一人として育ちますが、幼少期から短距離走の才能は発揮しており、初めて陸上トラックに立ったのは7歳の時。貧困な状況から抜け出したいという想いもあり、真剣に陸上競技に取り組みます。高校に進学後も徐々に実績を積み上げ、その後はカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に進学。そこで彼女はボブ・カーシーコーチと出会います。
しかし実家の経済状況が悪く、彼女は家族を支援するため大学を退学する事を選択します。競技も引退し、銀行での仕事を始めます。
しかしボブの熱心な勧誘、そして財政支援により彼がコーチとして勤める事になったカリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学。心理学部に在籍し、無事に卒業します。

1980年、全米選手権にて200m4位入賞を果たします。同年のモスクワオリンピック代表候補にも挙がりますが、結局アメリカは同大会ボイコットする事になり、出場の夢は断たれました。
1983年にはヘルシンキ世界選手権で200m4位入賞。1984年地元ロサンゼルスで行われたオリンピック200mでは銀メダルを獲得します。

ロスオリンピックを最後に彼女は再び競技から離れ、以前勤めていた銀行やネーリストとしての仕事を開始します。同時期にロスオリンピック三段跳び金メダリストのアル・ジョイナー氏と結婚。ちなみにソウルオリンピックで七種競技・走り幅跳びで金メダルを獲得したジャッキー・ジョイナー・カーシーはアルの妹です。

空白の期間を経て、1987年に突如競技に復帰します。その時には筋肉の鎧を纏っていたと言われており、ローマ世界選手権200mではいきなり銀メダルを獲得します。
翌1988年。当時100m10.96だった自己記録を10.49に、200mは21.96から21.34まで更新してしまいます。異常な急成長を遂げ、その年のソウルオリンピックは彼女の独壇場でした。

翌年には、彼女は突如競技から引退してしまいます。
日本のメディアにも多数露出していた彼女ですが、1998年に心臓発作にて急死。38歳の若さでした。

フローレンス・ジョイナーの走り方(ランニングフォーム)


ジョイナー選手のランニングフォームです。
特徴としては、黒人選手の中でも一際長い手足から柔らかく繰り出される下腿、そして無駄の少ない遊脚のリカバリーと、技術的な完成度は高いです。形体的な利点としては、彼女は骨盤の横径が短い(幅が狭い)のです。これは立脚時の姿勢安定性に有利に働きます。
しかし、他の選手との決定的な差は何か?と問われると、一言でいえば<パワー>と答えざるを得ないです。ウサイン・ボルト選手のように脊柱のエネルギーを利用できるわけでもないため、単純に脚力で優っている部分が大きかったのではないでしょうか。
上半身の使い方などは、むしろ現代の選手のほうが上手です。

度重なる引退や、奇抜なファッション、復帰後の異常な飛躍など、彼女の競技生活は他の選手と大きく異なります。彼女を語る上で避けては通れないのが<ドーピング疑惑>ですが、これはまた別の機会で語る事にします。

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